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大漁!海直送のシラス丼

EPISODE #242

大漁!海直送のシラス丼

2020.3.18

シーズン2,外食

大漁の朝に目覚めて

 頬に刺すあたたかな陽光と、行き交うトラックとフォークリフトの低く響く排気音は、うたた寝の中にあった私を現実に引き戻しました。運転席のリクライニングを起こし、腕時計に目をやるとすでに朝4時を過ぎた頃。夜遅くまで寿都湾(すっつわん)の周りを小女子漁を東に西に追いかけまわった後、漁港で仮眠をとっていたのでした。もう少し寝ていたかったんだけど。それにしてもこの騒がしさは何事でしょうか。大きな荷台を引くトラックがひっきりなしに通り過ぎては、セリ場がある港の先の方に向かっていきます。そこには、忙しく行き来する人々の姿が見えました。

 眠りにつく前は2、3隻しか帰ってきていなかった漁船が、夜が明けた今、10隻近くも岸壁に張り付いています。ついに小女子の水揚げ作業が本番を迎えたようです。漁船に乗っていた漁師さんたちと、浜で待ち構えていたお母さんたち。何十人もが一斉に動き回り、漁港はさながらお祭りのような興奮に満ちています。次々と積みあがっていく発砲箱には、小女子がいっぱいに詰められています。

 なんとか中を見たい。水揚げ作業の邪魔にならないように、するりするりと忍び寄り箱の中身を覗き込みました。半透明に透き通り、海水で濡れた小女子は、寿都湾の向こうから上がった朝陽に照らされて輝いていました。近づいてよおく見れば、一匹一匹が細長く口が尖って、親のキビナゴの形そのものです。れを見に来たんだ!夢中で売り物の小女子にシャッターを切る不審な男。気が付いた漁師の一団の親分らしき方が話しかけて来ました。

寿都漁港の小女子の水揚げ作業

「あんた、どっから来た?記者かなんかか?」

「いいえ、ただの消費者です。札幌からシラス漁を見に来ました。」

 親分はポカーンとしています。まあいいや、今日は大漁だから、と言わんばかりに、ご機嫌な表情で作業に戻っていきました。この日は今季一番の大漁だったようです。セリ場がある年季の入った漁協の建物の裏では、買い手が決まった箱から順にトラックに積み込まれていきます。多くは地元の水産加工会社に運ばれますが、こんな大漁の日には、遠く東北まで旅することもあるようです。小さく水分が多い小女子は、細心の注意を払っても鮮度を保つのが難しい魚。できればすぐにでも食べたい。食いしん坊の私はそう思い始めました。

朝獲れ生シラス丼を食べに行く

「北海道では、産地に行っても名物が食べられない!」(ことが多い。)

 我が家が常に痛感している悲しい現実です。北海道は食材の宝庫。だけど産地は大きな都会から遠くにあって、地域で消費できる量が少ないから、獲られたそばから長距離輸送という旅に出るのです。寿都町の小女子もご多聞に漏れず、すぐに大型トラックの荷台に収まります。そんなもったいない話があるか。寿都町内で生シラスが食べられる飲食店を探すことにしました。昨晩は、弁慶岬からおそらく寿都町の全ての敷き網漁船の漁を見られたし、寿都漁港の水揚げでも全ての漁師さんとすれ違ったはすです。

100マイル地元食シーズン2 外食ルール 1

メニュー1品の1つの食材の生産者に会えれば、外食してもいい。

 このルールを強引に適用すれば、寿都産の小女子が入った料理をお店で食べることができます。これだけ頑張って漁を見に来たのだから、少しぐらいの拡大解釈は許されるはずです。ルールに縛られていては、食生活どころか人生を楽しむことなんてできません。

 寿都で小女子が食べられるお店を検索してみると、すぐにヒットしました。その名も「しらす会館」。4月末からの1か月間に小女子の水揚げがあった日だけオープンする期間限定の飲食店でした。寿都湾をぐるりと回り込んだ東側にありました。シンボルマークのように立つ木製の構造物は、冬に鮭を寒風に当てて干すための櫓です。道路沿いに並ぶ、生シラス丼と書かれた黄色いノボリは、小女子の水揚げがあったことを伝えるサインなのだそう。そんなことは知っています。少し前まで水揚げに立ち会っていたのだから。

寿都町のしらす会館

 漁師町の海沿いに立ち並ぶ番屋を改装した店内。大きく違っているのは、海側に大きな窓があり、先に広がる海を対面して見られるようにカウンターがあることです。メニューは潔く、生シラス丼と釜揚げシラス丼、それに両者を合わせたハーフ&ハーフ丼のみです。ニセコ町の寿都町のアンテナショップ神楽で頼んだのと同じく、ここでもハーフ&ハーフ丼を頼みました。磯に寄せる白波を眺めながら、目を閉じればいつでもまた眠りに落ちそうなゆったりとした時間が流れていました。

漁から食べるところまで

 運ばれてきた丼には、ご飯の存在など忘れてしまいそうなほどに山盛りになった二色のシラスと、こんもりと大きな卵の黄身。その上に刻んだ青ねぎに海苔、それとおろしショウガ。それぞれが色と香りで自己主張をしています。味噌汁とおまけのカキの殻焼きまで付いて、寝不足の胃袋が受け付けてくれるか心配なほどの充実ぶりです。吉野商店オリジナルの「さば醤油」を一回しかけたら早速いただきます。

シラスのハーフ&ハーフ丼

 その日の朝に獲られてすぐに運ばれてきた小女子のシラスは、今もまだ海の中を泳いでいるかの如く生き生きとした生命感に溢れています。生シラスはプリプリとした食感で、舌の上から喉の奥まで一匹ずつが弾むように泳いでいきます。釜揚げシラスは対照的に、しっとりと柔らかで一体感のある群れのように、ゆっくりと流れていきます。海のニガリ成分か、それともシラスたちの内臓の風味か、絶妙な渋みが旨みをより濃く引き立てています。心配をよそに、胃袋はあっという間にハーフ&ハーフ丼は飲み込んでしまいました。

 この料理は、寿都の海の豊かさそのものだな。そう、感じました。海が輝くほどに豊かであれば、そこで生まれ育った魚は、同じように強烈な魅力を放ちます。私は何か予感のようなものに惹きつけられて寿都の海を訪れ、小女子漁を一晩中追いかけ、夜明けの水揚げの興奮に立ち会い、そして今、シラス丼を食べています。目と耳で、指先と鼻孔で、そして舌と胃袋で途方もない豊かさを体験した私は、静かに感動で身体が震えるのを感じていました。これだけ一杯のシラス丼に感動している消費者は、宇宙に私一人だけかもしれない。少なくとも、店内は私だけで独り占めしていました。

 店を出ると、道を挟んだ吉野商店の水産加工場では、朝獲れたばかりの小女子を佃煮にする作業の真っ最中でした。辺りには醤油の甘辛い香りが漂っています。それだけでもう一杯ご飯が食べられそうなほど美味しそうな香りです。刻一刻と鮮度が落ちる小女子は、すぐに佃煮や釜揚げシラス、干しシラスに加工されます。寿都町の小女子加工品は、地元だけでなく広く出荷される街の特産品になっています。でも、遠くの都会で何も知らずに寿都の小女子を食べたらどう感じるでしょうか。残念ながら、他の海から来た美味しいシラスと同じように消費するだけです。もったいない。ここまで食べに来れば、宇宙一の感動を与えてくれる奇跡の食べ物になるのに。

予感

 ちょうど1年前にゴールした「100マイル地元食」のシーズン1のチャレンジ。その中で、我が家が学んだことがありました。それは、私たちが感動する条件でした。どんな場所に行き、どんな人と話し、どんな物を食べれば、感動するかが少しずつわかってきたのです。地元の生産者さんという友人たちとの出会いや、移り変わる旬の美味しい食べ物への愛着は、もちろんずっと大切にしていきたい宝物です。

 ですがそれ以上に、挑戦の果てに行き着いた「感動する条件」は、私たちの食生活を無限に豊かにしてくれる、何物にも代えがたい財産になりました。私たちの心は正直で、どんなに現代都会人のお行儀の良い理性で取り繕っても、心躍る感動の瞬間を求めています。本当は心の声が聞こえているはずなのに、新たな世界で新たな自分を探すなんて無駄な事だと自分に信じ込ませて、また退屈な日常に戻っていないか。

 ドキドキ、わくわく、ザワザワ。いつもと違う何かを感じるのは、あなたの心のセンサーが感動の糸口を掴んだ瞬間だからです。もし、自分が「感動する条件」がわかっていれば、心の声を聞き逃すことはありません。自分の中から飛び出す「予感」、それは幸せになるための大切なきっかけになります。

寿都漁港の漁師さん

 寿都まで小女子漁を見に行きたい。それは、寿都町のアンテナショップ「神楽」でシラス丼を食べた際に抱いた「予感」でした。自分を解放し、心の向かう先を見て、考えるより先に行動する。その結果が、大串さんとの再会、大漁の瞬間との遭遇、そして生シラス丼との出会いにつながりました。どこに着くのかわからないままで、でも夢中に走り抜けた後に振り返ると、全てが必然であったように感じることがあります。「予感」の先には必ず「感動」がある。それが今回の旅の大切な気付き。それに、外食が素敵な「予感」を与えてくれることは、大きなヒントになりました。

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