©100マイル地元食
EPISODE #138
【ストーリー】100マイルの情熱の先にあるもの
羽目を外し過ぎたパーティーもいつかは終わります。2週間自由に食べ続けた時、どう感じるのかという壮大な実験。100マイル地元食に戻りたくなるのか、それとも...
今回は、中断することで初めて気が付いた自分の中で起きた変化のお話。
年末年始の帰省の2週間、私は食べ続けました。思い出の味、家庭の味、カップ焼きそばからコンビニご飯まで。地元で作られた食べ物しか食べられない100マイル地元食に、ある意味抑えつけられていた食への好奇心が、大きな反動を伴って爆発しました。
1日4食と午前午後のおやつ。それほどに食べ続けないと、たったの2週間では長大な食べたい物リストを全て消化することができませんでした。素直な気持ちを書けば、懐かしい記憶の中の味を1つずつ再確認していく作業は、刺激的で心地良いものでした。
そんな時、ふと考えました。昨年6月に100マイル地元食のチャレンジという非日常に飛び込んで間もなくの頃、仕事のために止むを得ず外食をする度に、強い罪悪感を抱えていました。でも、今回は不思議と罪悪感を感じなくなっていました。
毎週のように新しい野菜や果物、魚や肉が目の前に現れた、夢のような夏と秋を通り過ぎ、季節は冷たく単調な冬に入っていました。仕事や勉強にそれなりに忙しかった12月は、産地まで買い物に行くことができず、同じ献立ばかりを食べるマンネリの日々に陥っていました。
「100マイル地元食への情熱が無くなってしまったのかもしれない。」
ルール外の食べ物を何の罪悪感も無く食べられていることに、戸惑いを感じていました。いつでも外食ができ、地球の裏側から来た物でも気にせず食べられる生活に、私は戻りたがっているのかと。
自由に何でも食べられる現代都会人の食生活に、いつしか不感症になり、逃げ出すように始めた100マイル地元食の挑戦。自分や家族にとって、そして地域や生産者さんにとっても意味がある食事をする。そんな決意はどこに行ってしまったのかと。
帰省の最終日、茨城の大洗港でフェリーに乗り関東地方に別れを告げました。船が港内の静かな水面をから外海に出て、穏やかで大きな太平洋のうねりを感じ始めると、妻と2人、思わずため息のような言葉が漏れました。
「あぁ、またいつものご飯が食べられる。」
あんなに楽しかった自由なご飯も、食べたい物リストが空になって満足すると、意外なことに無性に100マイル地元食が食べたくなったのです。いつのまにか、私にとって、あの不自由で制限だらけの食生活が、帰るべき日常になっていたのだと気が付きました。
その感覚は、例えるならば「軸」、そう言えるのかもしれません。地元でとれた季節の野菜、魚介、肉に乳製品。それを限られた調味料やハーブで、シンプルで薄味に料理したもの。ただのそれだけの食生活が私たちの真ん中にあって、支えてくれている。そう感じたのです。
そう思った時、かつてよりも罪悪感を抱かなかった理由がわかったような気がしました。「軸」がしっかりとできた今、必ず100マイルに帰るとわかっているからこそ、ルール外の食べ物を素直に食べる事ができた。いつの間にか、日常と非日常が入れ替わっていたのです。
100マイル地元食を始めるきっかけになった、コンビニでいつもと同じパンとおにぎりを手に取ることができず、立ち尽くした日。もしかすると、あの日の私は、食生活の「軸」を見失っていたのかもしれません。忙しさにかまけて、朝食を食べず、昼はコンビニご飯、夜も外食が続いていました。見失って当然です。
地元の土が、風が、海が、日の光が、かつて生きていた物たちが、地元の多くの友人たちの手を経て、私たちの元に食べ物となって届き、今は血と肉になっている。身体の真ん中を貫く「軸」は、足元の大地につながっている。それは決して霊的な感覚でも、安っぽい比喩でもなく、肌でそう感じるのです。
情熱の先にあった自分でも予期しなかった安心感に包まれて、待ちわびた日常の中に戻っていくのでした。