©100マイル地元食
EPISODE #136
【ストーリー】挑戦中断したら何食べる?
年末年始の帰省の間、100マイル地元食の挑戦を中断したら、何を食べたいか。私が育った横浜を舞台に実験することにしました。でも、実験はいつの間にか、どれだけ食べられるかの挑戦になっていきました。
今回は、私が愛した横浜の食べ物のお話です。
北海道の札幌に移り住んで3回目の年末。今回は、今までとは少し事情が違っていました。自分から100マイル(160.9km)の範囲内で作られた食べ物だけで生きる100マイル地元食の挑戦の真っ最中。そんな中で、関東の実家に帰省することになりました。
思いきって、この2週間は100マイル地元食の挑戦を中断することにしました。両親や親戚、友人たちとの食事、育った土地での懐かしい外食。自由に食べて良いと言われたら、今の私たちは何を食べたいと思うのか。あえて試してみることにしました。
まずは、私の方の実家の横浜です。この日は、長男(6)と長女(3)は両親に預けて、妻と次男(0)と、思い出の味を食べ歩きました。最初に立ち寄ったのは、桜木町駅の向かいにある一蘭ラーメンでした。博多発祥のラーメン屋さんですが、札幌では食べられない味。いつも通り、異常なしです。
日米修好通商条約が締結され、1859年に開港してから、横浜は日本を代表する貿易港として発展してきました。その中で、多くの外国人が移り住み、それぞれの食文化もこの土地に持ってきて、日本の食文化と溶け合いながら定着していきました。
そんな街だからこそ、ここでしか出会えない味があります。次に立ち寄ったのは、馬車道で明治時代の面影を残す喫茶店、馬車道十番館でした。名物のプディング・ロワイヤルとクラシックショコラ、合わせたのはカフェ・スパイスとアールグレイ。少しだけ背伸びした味です。
大桟橋の屋上にのぼり横浜の景色を海から見渡すと、3年しか経っていないのにこれまでとは少し違った雰囲気を感じます。街が変わっているのか、見ている私の中で何かが変わったのか、懐かしさと寂しさが入り混じった不思議な感覚を味わいます。
両親と子供たちと合流した私たちは、この日のディナーを食べる横浜中華街に向かいました。今では札幌も大好きな街ですが、唯一残念に感じているのが、中華街が無いことです。中華が食べたくなったら中華街で食べる。それが横浜育ちの私にとっては当り前でした。
三国志に出てくる蜀の武将、関羽雲長を商売の神様として祀った関帝廟が、横浜中華街の中心です。大きなお線香を供えて、残りの挑戦の無事を祈ります。さて、予約したお店、広東料理均元楼(きんげんろう)に着きました。
訪れる度に、新しくきらびやかな店が現れる中華街において、均元楼は70年以上も続く老舗です。中華料理店では珍しい化学調味料を使わないお店。あっさりとした味付けで、季節の旬の食材を活かした炒め物や煮物は、日本人の味覚に合わせつつも、中国の食文化が体験できる名店です。
ついつい頼み過ぎた料理をすべて平らげて、もう食べられないと思っても、店を出ると買ってしまうのが、台湾発祥のタピオカミルクティーです。太いストローで、甘いミルクティーの中に沈んだ真っ黒なタピオカを探りながらフラフラ歩くのが中華街の正しい楽しみ方です。
それにしても、横浜の思い出の味を1日で楽しみ倒すのは無理がありました。もう何も食べられない、食べ物は見たくもないというほどに膨れたお腹を眺めて、なぜこんなに食べ過ぎてしまうのだろう、としみじみと考えます。
でも、実家に着くと、マーロウのビーカー入りの手作り焼きプリンを買っていたことを思い出しました。こだわりの季節の食材を使った濃厚なプリンは、1つ200cc以上もある大きなものです。でも、いつの間にか食べてしまう。もうさすがに止めておこう。お腹いっぱいの一日になりました。