小豆島で100年以上も使い続けられた木桶の醤油仕込みを肌で体験した夢のような3日間が終わりました。札幌での100マイル地元食の日常に戻ると、やっぱり醤油を使いたくなります。何とか醤油を作れないか。参考にしたのは日本の醤油の歴史でした。

今回は、やっと手に入れた醤油のような調味料のお話。

 

歴史が切り開いた自家製醤油の道

小豆島のヤマロク醤油で行われていたのは、大豆、小麦、塩と麹を、木桶で仕込み、微生物の働きだけによって作る伝統的な醤油作りでした。醤油はとてもシンプルな材料で作られていることがわかりました。それなのに、札幌の我が家から100マイル範囲内の醤油はありません。

ヤマロク醤油もろみ蔵
木桶を使った伝統的な醤油仕込み

理由は、やはり塩でした。明治時代の開拓期以降も大規模な製塩所が作られなかった北海道では、地元の塩が圧倒的に少ないのです。「無いなら自分で作れば良い」の精神で、昨年秋に自家製醤油作りにも挑戦しましたが、完成までは2年かかります。1年間の100マイル地元食の挑戦中には間に合いません。

もうほとんど、醤油のことは諦めかけていた我が家でしたが、思わぬところから光が差しました。日本の醤油作りを勉強しようとその歴史を調べていた時、まだ醤油が作られていなかった時代の醤油に似た液体調味料を見つけたのです。それが「垂れ味噌」(たれみそ)でした。

 

「垂れ味噌」は室町時代の調味料

「垂れ味噌」は、和食の原型が形作られた室町時代、1489年に発行された「四条流包丁書」に記録が残っている液体の調味料です。そこには「味噌一升に水三升五合を混ぜ、煮詰めて三升とし袋に入れ、それを絞めて垂らした液体」と書かれているそうです。

※「日本食文化の醤油を知る」HPより、http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/mame01.html

醤油の歴史を簡単に振り返ります。鎌倉時代までは、穀物や肉、魚と麹と塩を混ぜて発酵させた「醤」(ひしお)が食べられていました。13世紀に大陸から金山寺味噌の製法が伝わると、浮き出た味噌の水分が「たまり」として醤油の原型の調味料として使われるようになります。醤油が本格的に作られ始めるのは16世紀の室町時代後期になってからです。

つまり、「垂れ味噌」は、醤、味噌、醤油と発酵調味料が進化する間にちょっとだけ登場した、今は作られなくなってしまった調味料なのでした。我が家には、八雲町の服部醸造が作っている、原料が全て100マイル範囲内の “オール八雲味噌” があります。醤油の代替品として「垂れ味噌」を作ってみることにしました。

オール八雲味噌
服部醸造のオール八雲味噌が届きました

 

アレンジして作るオリジナル「垂れ味噌」

室町時代の製法に従えば、味噌を3倍の真水で薄めることになります。室町時代ではちょうど良いのでしょうが、すでに醤油の味を知っている私たちにとっては薄すぎます。なので、味噌と水を1対1、そして水も塩水を使うことにしました。

味噌1対塩水1
味噌1対塩水1の割合で混ぜる

一般的な醤油の塩分濃度は約16%です。減塩の意味も込めて12%の塩水で作りました。“オール八雲味噌” と塩水をガラス瓶に入れて、味噌の塊が無くなるまでよく振ります。これを煮詰めてしまっては風味が消えてしまうと思い、室町時代には無かった冷蔵庫で1週間寝かせておきました。

1週間寝かせたら濾す
1週間寝かせたら濾す

味噌の旨味が塩水に溶け出すのを待って、クッキングペーパーを敷いたザルで濾していきます。ポタポタ垂れる液体は、深い褐色をしたほぼ醤油の色をしていました。せっかくの色が濁ってしまわないよう弱めに絞れば、「垂れ味噌」の完成です。

滴り落ちる褐色の「垂れ味噌」
滴り落ちる褐色の「垂れ味噌」

 

我が家に9か月ぶりの醤油が来た!

醤油が無い生活を始めて9カ月が経っていました。本物の醤油ではないけれど、見た目は完全に醤油の「垂れ味噌」が我が家にやってきました。妻と2人で味見をしてみました。不思議なことに、味噌と塩水を混ぜただけなのに、醤油の深い味わいと香ばしさがあります。

ヤリイカと垂れ味噌
旬のヤリイカの刺身に添えた「垂れ味噌」

服部醸造の “オール八雲味噌” 、小豆島ヤマロク醤油での体験、そして、室町時代の人々の美味しい物を食べたいという探求心が現代で出会い、我が家にとって “オンリーワンの醤油” になりました。醤油は和食の基本。これで諦めかけていた和食にも挑戦できるようになりました。

少し気がかりなのは、せっかく美味しい味噌を作ってくれた服部醸造の職人さんががっかりしないかということでした。申し訳ないので、「垂れ味噌」を絞った後の味噌もしっかり食べようと心に決めました。そして、これがまた我が家の食卓を豊かにしてくれるのでした。