チャレンジ終了後の我が家

1年間の「100マイル地元食チャレンジ」を終えてから、いくつかの季節が通り過ぎ、いつの間にかゴールしたあの時と同じ、春がすぐそこまでやってきました。我が家がある北海道の札幌でも雪は雨に変わり、見上げる向かいの山の樹々も新芽を膨らませて、もう少しだけ暖かくなるその日を待ち構えています。我が家といえば、相も変わらず賑やかで落ち着かず、それでいて毎日やってくる新しい出来事を素直に前向きに受け止められるような、ちょうどよい自然体を続けられています。

「自分から半径100マイル(160.1km)の範囲内で作られた食べ物だけで家族5人が1年間生きる。」

そんな無謀なチャレンジは、それまでの我が家の現代都会人的な食卓を完全にひっくり返しただけではなくて、代わりに地元の旬の食べ物たちをもたらしてくれました。あの熱狂のゴールからもうすぐ1年が経ちます。この間、我が家の食卓は、「100マイル地元食」を基本にしながらも、買い出しロングドライブやお料理の時間がとれない日には、範囲外の食べ物も適度に取り込んで、「ちょうど良いハイブリッド地元食」に落ち着いていました。

でも、都合よく、お行儀よく過ぎていく今の日常は、どこか物足りないのです。私の心の中の新芽も、もう一段暖かい空気を運んでくる南風に急かされて、わずかに動き出していました。あの、世界の全てが変化していくような日々の疾走感、勇気を出して生産者さんに会いに行き食材に辿り着いた瞬間の達成感、そして、人生と食卓の真ん中にいつまでも置いておきたい大切な物を見つけられた満足感。できるならば、そんなチャレンジの日々に戻りたい。そう思い始めていました。

マイペースで鈍感な私が自身の中のわずかな変化に気が付くには、またいくつもの出会いを経験する必要がありました。そして、ゴールから現在までの日々を振り返るブログを再び書くことにしたのです。

いたずらっ子のレモンサワー

ある秋の夜長に、普段はほとんど出かけないネオン輝く繁華街すすきの を歩いていました。目的はとあるパブで一夜限りのイベントに参加するため。瀬戸内海のレモンで作ったカクテルとお料理が楽しめるイベントのようです。Facebookで偶然見つけただけの、主催者も会場になるお店も知らないイベントに勇気を出して参加したのは、そこに何か今までとは違う何かに出会えるような予感がしたからです。

地下鉄の出口の階段を上がると、すすきのの街はいつもの通り、アジア各地から訪れた観光客や、束の間の出張の夜を楽しむサラリーマンでごった返しています。イベントの会場は「LIBERTIN(リベルタン)」。ビールやウイスキー、食いしん坊には堪らないお料理が手軽なお値段から楽しめる人気のパブです。扉を開けると、薄暗い店内から賑やかなしゃべり声が漏れ出てきます。入り口で所在なさげにキョロキョロしている私を見つけた店員さんが、ちょうど1つだけ空いていたカウンターの右端の席にに案内してくれました。

カウンターには今夜だけの特別なメニューが置かれています。瀬戸内海の名産であるレモンやライムを使った遊び心溢れるお酒やお料理に目移りしてしまいます。我が家ですでに夕飯を食べてから抜け出してきていた私は、一番のおすすめのレモンサワーだけを頼むことにしました。

久々の夜の社交場にも落ち着きを取り戻し始めたころ、レモンサワーが届きました。大きめのグラスにシュワシュワと泡立つフレッシュな炭酸。その中をレモンの果肉の粒々が舞っています。ですが、この一杯は見慣れたレモンサワーとは明らかに違っていました。騒ぎ立てるグラスの中身を閉じ込めるように飲み口に透明な膜が張ってあり、その上には山吹色の欠片が散りばめられています。それはどうやらオブラートとドライレモンのようでした。

岩城島レモンのレモンサワー
岩城島レモンのレモンサワー

ずっしり重みのあるグラスに顔を近づけていくと、自然とドライレモンが鼻孔の前にやってきます。微かに届く控え目の芳香に、たまらず一粒つまんで食べてみます。乾燥されたことで濃縮された甘味といくらか和らいだ酸味。もう一度グラスを持ちあげ口をつけて傾けると、レモンサワーがオブラートをじわりと溶かして染み出てきました。その瞬間に、封じ込められていたレモンの酸味と鮮烈な香りが一気に飛び出しました。一杯でレモンの2つの顔を見せつけられるなんて。考えた人は子供の心を持ったいたずらっ子に違いありません。

人生を変えた瀬戸内の島の魅力

カウンターで一人の時間を楽しんでいると、店内を忙しく動き回っていた男性がこちらにも話しかけてきました。「今日はお越しいただいてありがとうございます。」その方は、どうやらイベントの主催者のようでした。島から持ってきた自信作のレモンサワーを、私が心底楽しんでいることを知り、喜んでいる様子です。話を伺うと、瀬戸内海の岩城島(いわぎしま)の果物を日本中に紹介して回っている会社「ぽんぽこらんど」の岡さんという方でした。

瀬戸内海は一年を通して温暖で日照にも恵まれているそうです。そんな瀬戸内の穏やかな気候は柑橘類の栽培に適していて、岩城島では美味しい見事なレモンが育つそうです。逆に北海道は寒すぎて冬を越せないため、地元で柑橘類を育てることができません。道東の厚岸(あっけし)産や道央の日本海側の寿都(すっつ)産と生牡蠣が美味しい北海道ですが、お供のレモンは北海道の外で育ったものです。だからこそ、北海道民は柑橘類に強い憧れがあるのかもしれません。

話が弾む内に、岡さんは意外なことを教えてくれました。彼は元々九州で生まれ育ちましたが、大人になってからたまたま訪れた岩城島の魅力の虜になり、岩城島に移住され今のお仕事に就かれたと言うのです。失礼ながら、これまで何度か四国や瀬戸内地域を旅行したことがありましたが、岩城島という島の名前を聞いたのは初めてです。近頃話題になっている「しまなみ海道」で渡れる島々の隣の島なのだそう。私にはレモンサワー以上に、この小さくて有名とは言えない島のことが気になりました。

1人の人間が生まれ故郷を離れ、別の土地に移り住むのは、人生の一大イベントです。大きな決心と覚悟が必要になります。私も、福島県の会津で生まれ、横浜で育ち、北海道の移住した、いわゆる “ Jターン組 ” だから分かるのです。移住先を決める理由は人それぞれです。でも少なくとも何か大切な物を見つけたからに違いありません。

かつて、岡さんを惹きつけて移住まで決心させ、今、遠く離れた札幌の地で、レモンサワーに姿を変えて、私の心に突き刺さっている瀬戸内の小さな島の魅力。そこはどんな土地なのか、何があってどんな人が住んでいるのか、自分の目で確かめに行きたい。突然、そんな想いにかられました。

食材が来た道を辿る旅へ

思えば、「100マイル地元食」という新しい食べ方のルールは、自然がもたらす旬のサイクルも産地や生産者さんとの距離感さえも失った、迷える現代都会人を救い上げてくれる特効薬のような物でした。おかげで我が家は、人生で初めて心から豊かだと言い切れる食生活を、ここ北海道の地で見付けることができました。ですが、効きすぎる薬には往々にして副作用が付いてくるものです。

「100マイル地元食」の最大の副作用は、100マイル範囲外の食べ物との偶然の出会いを排除してしまうということです。「範囲外の物は絶対食べない。」「外食は範囲外の食材ばかりだから到底無理。」遠くのの物を排除し、足元の物に目を向けることで、私たちを翻弄していた過剰な食の選択肢の氾濫から抜け出すことはできます。ですが、排除してしまったその中には人生を変えてくれる出会いだってあったかもしれません。もし今も頑なにルールを守り続けていれば、今夜のレモンサワーや岩城島、それに岡さんとの出会いは起きなかったはずです。

いつかもう一度、「100マイル地元食」のチャレンジを再開したいと思いながらも、もう少し世界を広げたいと考えていました。排除してしまった外の世界にだって、そこに生きる人たちが人生をかけている食べ物がある。食材が来た道を辿って行けば、必ず素晴らしいことが起きる。都合よくルールを変えることができるチャレンジ休止中だからこそ、外の世界で冒険がしてみたいのです。そこには、我が家の食生活を更に豊かにしてくれる新たな出会いが待っているはず。勝手にそう信じていました。

家族で岩城島に旅行に行こう。せっかく行くのだから、いちおう「100マイル地元食」っぽく地元の食を楽しみたいな。時期は北国の長い冬休みが良いか。イベントを1杯だけで切り上げた私は、急ぎ我が家に帰り、起きて待っていてくれた妻に話しました。「次の冬休みには瀬戸内旅行に行くから。」まったく脈絡のない提案にも、妻はいつものことと慣れた素振りでOKしてくれたのでした。

岩城島フェリーターミナル
次回から瀬戸内旅行編がスタートします。