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EPISODE #121
【ストーリー】酪農家という仕事はアリか? 前編
100マイル地元食ルールを少しだけ休んで、酪農という仕事を体験しに、別海町中春別の中山農場に3日間お世話になりました。体験したものしか信じない、面倒な性格の私にとって、中山農場での時間は、仕事観を変える出来事になりました。
今回は、遠いと思っていたけれど、身近だと気が付いた、酪農という仕事のお話、前編です。
我が家がある札幌から東に300km、釧路よりさらに70kmも先に別海町(べつかいちょう)があります。人口1万5千人の町に10万頭の乳牛がいて、全国1位の生乳生産量を誇る酪農の町です。その町の中春別という地域に、有限会社中山農場があります。
中山農場は、900頭の乳牛を飼い育て、毎日400頭の母牛から13トンの生乳を絞っている、北海道でも有数のメガファームです。いろいろな方のご支援や幸運で、そして何より中山勝志社長のご厚意で、3日間の農場体験を受け入れていただきました。
今年の春まで野菜や果物を扱う仕事をしていた私。その後で始めた100マイル地元食の挑戦でも、農家さん、畜産農家さん、漁師さんの仕事を近くで見ることができました。でも、酪農はずっと遠くにありました。遠くにあって、一番よくわからない仕事でした。だから、農場体験に来たのです。
6時間の運転でやっと中春別に辿り着いた初日。中山社長やお母さん、若いスタッフの皆さんの話を聞いてから、翌日に備えて早めに眠りました。酪農家の仕事は、朝早くから始まります。翌朝5時、お借りした服と買ったばかりの長靴をはいて、この日の世話役になってくれた竹田さんと合流しました。
竹田さんは、札幌で営業の仕事をされた後、中山農場に転職された20代の若き酪農家です。担当する分娩房の仕事を見せてくれました。分娩房とは、病気になりやすい産後の母牛や、ケガをした牛のケアをする施設です。
この日の最初の仕事は、昨晩、仔牛を産んだばかりの母牛を、別の牛舎から分娩房に連れてくることでした。疲れて立ち止まりながらですが、なんとか歩いています。母牛は、出産で体力が落ちているので、乳房炎という病気にかかりやすくなります。乳房に雑菌が入って炎症を起こし、放っておけば死に至る、乳牛にとって危険な病気です。
分娩房では、毎日、母牛の乳房炎の検査をしつつ、餌の食べ方、胃の動き、体温をチェックします。そして数日間のケアの後、体力が戻ったのを確認して、搾乳される牛のグループに戻します。分娩房の仕事は、生乳の生産量を維持するため、そして牛たちの健康を保つための重要な仕事でした。
分娩房の仕事が一段落してから、竹田さんと、入社2か月目の今泉さんが、牛舎の徐糞の作業を見せてくれました。牛舎の中で餌を食べたり寝転んで休んでいる牛を移動させると、トラクターのような重機を使って、牛の糞尿を一気に押し出していきます。この作業の豪快なこと。ガンダム世代は必ず憧れる、今泉さんの見事な重機捌きです。
酪農の“汚い、臭い”というイメージは、この徐糞作業から来ているのでしょう。しかし、気が付いたのは、牛舎の匂いは糞尿のものじゃなく、消化を助けるために発酵させた牧草の匂いだということです。少し酸味のある餌の香りは、そのまま糞の匂いでもあります。秘密を理解してしまえば、匂いは5分で気にならなくなりました。人間の身体は本当に都合良く作られています。
私はこの日、特別に午前7時間、午後4時間も作業を見せていただきました。中山農場では、酪農の、いわゆる “きつい、汚い、危険” の3K仕事というイメージを払しょくするため、業界では先進的な、午前午後の2シフト制を導入していました。朝シフトのスタッフは、午後は休めるのです。有給休暇もしっかりあります。
1日中、若き酪農家の仕事を見ていて、考えることがありました。
「酪農の仕事と、都会のサラリーマンの仕事、私ならどっちを選ぶだろう?」
酪農は3K仕事?確かに、都会のオフィスでスーツを着て、パソコンに向かう仕事よりは、体力は使うし汚れます。だけど、サラリーマンは服こそ汚れませんが、日々、息苦しさを感じながら、どこかで自分の想いを押さえつけて働いています。どちらがきついでしょうか?
酪農は、目の前に牛という世話をする対象の生き物がいて、1つずつの作業の目的がはっきりとしているので、結果もすぐに現れます。待遇だって悪くありません。
「この仕事は思ってたよりアリかもしれない。」
少しずつそう考えるようになっていました。確信を持ったのは、酪農という仕事の、本当の楽しさと夢に触れることができたからでした。それは...明日の後編に続きます。