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EPISODE #149
【沖縄旅行】土地と食文化のながーい関係
沖縄旅行は早くも3日目。せっかくここまで来たのだから普通の観光もしたい。この日は、那覇市周辺の定番スポットを見て回ることにしました。やっと晴れてくれた青空のもと、私の妄想は遠くアジアの海や琉球王国を飛び回るのでした。
今回は、琉球と現代の沖縄をつなぐ歴史と食文化のお話です。
やっと晴れてくれた。冷たい雨と10℃を超えない気温から、一気に20℃近い青空になりました。せっかく持って来たのだからと短パンを履いて外に飛び出します。恩納村の貸別荘KARINから、本島南部にある那覇市までは1時間ほどのドライブです。
せっかくの沖縄海沿いドライブの間、地元の水だけでは寂しいので、即興で黒蜜シークヮーサージュースを作りました。美ら海水族館のお土産屋さんで買った黒蜜とシークヮーサー果汁を水で割ります。でも、せっかくの明るい黄色が茶色になって、子供たちは飲んでくれなさそうです。味は抜群に美味しいんですが。
さて、沖縄県に旅行に来る “普通の人” のほとんどはまず、那覇市内に泊まって、市内の観光スポットを回り、夜は県内最大の歓楽街 “国際通り”でご飯や酒を楽しみます。我が家は100マイル地元食ルールがあるから同じものは食べられないけど、観光スポットだけは真似してみます。
まず向かったのは、首里城です。15世紀から19世紀まで450年にわたってこの地を治めていた琉球王国の王城です。日本の寺社の面影と、中国南部や台湾を想わせる極彩色の装飾、沖縄特有の石灰岩のグレーが、混ざり合って空の青に溶けています。
琉球王国は、日本や中国、東南アジアをつなぐ土地にあり、交易で栄えた国でした。沖縄の食文化を考える時、この交易国という前提を忘れてはいけません。沖縄がいくら亜熱帯気候の自然豊かな土地とは言っても、かつての琉球は、夏の台風や干ばつで、食料生産には苦労してきたそうです。
そんな中で、他国との貿易を通して、甘藷(さつまいも)や豚が伝来し、飢餓から救われました。昆布が採れない土地にも関わらず、沖縄料理は昆布出汁をよく使います。それは、明(中国)向けに輸出するため、北海道産の昆布が沖縄まで盛んに運ばれていたからです。
沖縄の食文化をもっと知るためにぴったりの場所があります。第一牧志公設市場です。国際通りからアーケードを通って進むと、急に生鮮食品を売るお店が増えます。お店とお店の間の狭いドアを抜けると、中は肉屋と魚屋が並ぶ、活気あふれる市場になっています。
戦後まもなく、この土地に発生した闇市が、地元住民の食を支える公設市場に発展しました。今では、沖縄らしい食材が買えて、その場で料理してくれる観光スポットとして、国内外の多くの観光客に人気があります。
ここでは、BBQで食べたい魚介類を買うことにしました。夢にまで見た南国のカラフルな魚介類とやっと出会いました。買ったのは、美ら海水族館で見て絶対食べると誓っていたイセエビ、ぷちぷち食感の海藻 海ぶどう。そして、ある調理法で食べたかった真っ赤なミーバイです。BBQのお話はまた今度。
世界中のいろいろな土地を歩くとき、その土地と歴史が切っても切り離せないものだと感じます。どんな気候の中で、どう生活をしてきたのか。周りにどんな国があって、どんな関係だったのか。この場所にあった国だからこそ、現代までつながる独自の歴史が作られている。
私にとっては食文化も同じもののように感じられます。土地で獲れる魚、育つ野菜、周りの国からもたらされる交易の品々、冬に吹く冷たい北風に、夏の厳しい日差しと台風、全てがこの土地の食文化を形作る要因になっています。土地とそこに暮らした人々のストーリーが不可分なら、土地と食文化もまた不可分なはずです。
食という切り口で旅をすることで、“普通の旅行” ではなかなか見えてこない、派手な通りの裏側にある悠久のストーリーを感じられる。100マイル地元食旅行の緊張と興奮がもたらす副作用とも言うべき、新しい感覚でした。
「1軒、寄りたい店があるの。」
妄想にふけっている間に那覇観光は終わり、車に戻っていました。そんなタイミングでの妻からの提案。旅行中に妻が言い出す突然の提案は、どうせ前々から絶対行きたいと思っていた場所に違いありません。
しょうがない、だまされたと思って行ってみるか。これが、素敵な出会いの始まりになりました。