我が家がお世話になった生産者さんに会いに行く旅も、はや3日目の折り返し地点。この日は、次なる目的地に近づくため、北から南へと大移動です。ついに、ずっとチャレンジを支えてくれた星の塩の生産者さんに会えるのです。

今回は、運命の日を前にして考えた「食べる」ことの意味のお話です。

 

星の塩の生産者さんに会いに

上川町の辰巳農園の辰巳さんから紙袋いっぱいの大豆コーヒーを受け取った我が家は、一旦、南に引き返しました。翌日には、さらに西に進路を取り、岩内町に向かう予定です。

岩内町で会いたかった人、それは我が家がこの11か月ずっと食べ続けてきた “星の塩” の生産者さんでした。我が家が100マイル地元食の挑戦を始める決心がついて、今まで無事に続けられたのも星の塩に出会ったおかげでした。

人間には、最低でも1日5g、標準的な日本人の食事では1日10g弱の塩が必要です。もし地元の塩が手に入らなかったら?わずか1週間で体調を崩し100マイルチャレンジは失敗していたはずです。星の塩は、まさに我が家の命を支えてくれた塩なのです。

 

やっと電話がつながった!

星の塩の生産者さんは金澤さんという方です。この旅行でお会いできることになるまでは、また長い紆余曲折がありました。なんとかお会いしたいと思い、パッケージに書かれた番号に電話を掛けましたが一向につながりませんでした。

次に、星の塩の原料である岩内町の海洋深層水が自販機で買える「岩内町地場産業サポートセンター」の方に、金澤さんのご紹介をお願いしましたが、それでも電話はつながらず。最後には、センターの方に金澤さんの携帯番号まで教えてもらってやっとつながりました。

海洋深層水の自販機

電話の向こうでいぶかしがる金澤さんに、私はいつもの通り、一方的な感謝の想いとお会いしたいというお願いを伝えました。金澤さんは戸惑いながらも、そこまで言うならと受け入れてくれました。

それは、キャンピングカー旅に出るほんの数日前のことでした。

 

お世話になった金滴酒造に寄る

岩内町に近づくために南へ向かう道中、寄りたい場所がありました。新十津川町(しんとつかわちょう)にある金滴酒造(きんてきしゅぞう)です。明治時代に奈良の十津川村から入植した方たちが、厳しい原野開拓の末、自分たちが飲む酒は自分たちの手で作るという強い想いで創業した酒蔵です。

金滴酒造
歴史を感じさせる新十津川町の金滴酒造

お客さんを招いたおもてなしの日以外はほぼ晩酌をしない我が家でも、常に切らさず置いてあるのが料理に使う日本酒です。多くの地元のお酒を試した上で出会った、金滴酒造の “特別純米酒新十津川” でした。あっさりとした香りで食材の持ち味を邪魔をしないだけでなく、豊かな旨味を与えてくれる最高のお酒でした。

笑顔で迎えてくれた金滴酒造の直売店の方には、申し訳なくて料理に使いますとは言えませんでしたが、勧めてくれたお酒を飲む用に何本か本買いました。金滴酒造のお酒もまた、我が家のチャレンジを支えてくれた大切な食材の一つでした。

明治時代の金庫
明治の創業当時から使っている金庫を見せてくれました

 

感謝を伝えるまでが「食べる」ということ

いつの間にか陽が傾き、田畑の上に広がる大きな空が薄暗くなってきた頃、今夜の宿泊地の道の駅に着きました。キャンピングカー旅は、車が停められさえすればどこでも宿泊できるのが強みです。

明日になれば、このチャレンジの間ずっと待ち望んでいた、星の塩の金澤さんとの対面が実現します。挑戦の日々も残り1か月を切り、やり残したことを一つずつ追いかける幸せな時が続きます。

生産者さんに会って感謝を伝えること。それは、誰に促される訳でも無く、我が家が自然と始めた休日の使い方でした。それは、馴染みの友人や恩師に会いに行くような感覚。苦労し続けたこの11か月の間、ずっと一緒に歩んでくれた地元の生産者さん達は、もう家族同然です。

目の前の食べ物を口に運び、噛んで飲み込むだけが「食べる」ことだと考えていた、挑戦前の私たち。今では、その前後にある、食べ物を育てる生産者さんに会い、そして、美味しかったと感謝を伝えるまでが、どうやら我が家の「食べる」ことになっていたようです。