鳴門うどん再現を阻む白い粉の壁

4泊5日の瀬戸内・四国旅行の間に、心から感動した鳴門うどんを半径100マイル(160.1㎞)の範囲内で作られた食材だけで再現する。唐突に現れた旅の宿題に、何から始めればいいのか、いつものように妻と私は途方に暮れていました。自分たちで新たなテーマを選んでは、後になってその難しさに打ちのめされるのです。でも、少しも悲観的な心持ちはなくて、むしろ宿題が難しければ難しいほど嬉々として取り組む。それが私たちが味わいたかった “非日常” であり、“100マイル旅行の醍醐味” なのです。

「どんな材料が必要か、書き出してみよっか?」

地元で愛される名店「舩本うどん」で食べた鳴門うどんは、柔らかく不揃いに切られたうどん、玉ねぎとさつまいもの甘いかき揚げ、黄金色の深みのある香りの出汁からできていました。一番シンプルな材料で再現するならと書き出していきます。そして、恐らく今まで誰も挑戦したことがない買い物リストが出来上がりました。

 鳴門うどん食材買い物リスト

  • 小麦粉
  • 玉ねぎ(淡路島で購入済み)
  • さつまいも
  • 鰹節
  • 薄口醤油
  • みりん
  • 日本酒

この全ての食材を、香川県琴平町の宿を中心にした半径100マイルの範囲内で見つけ出さないといけません。最も難しいのは間違いなく小麦粉です。私たち日本人が食べている小麦は年間およそ650万トンもありますが、その約85%がアメリカやカナダ、オーストラリアなどからの輸入品。残りの15%は国内で作られていますが、四国産はわずか0.1%しかありません(※)。この短い旅の間に、国内でわずか0.1%しか食べられていない小麦粉に出会えるのでしょうか。当たり前の食材である小麦粉が、私たちの前に立ちはだかりました。

※農林水産省「平成29年産作況調査」「平成29年度食料需給表」より

土佐のひろめ市場のかつお節

旅は2日目。買い物リストが私たちの肩にずしりとのしかかりますが、立ち止まっていても目当ての食材に出会うことはできません。土地勘が無い旅先で、どこを探せば良いのかわからないのであれば、むしろ行ってみたかった場所に足を運んでみよう。この日の行き先は私が決めました。大学生の頃に友人と旅した思い出の地、土佐を再び訪れることにしたのです。「平成浪漫商店街ひろめ市場」は、高知県高知市、かつて土佐国(とさのくに)の中心地だった高知城下にあります。魚屋に肉屋、居酒屋にイタリアン、服屋さんにマッサージ店まである混沌とした異世界のような商業施設です。

ここでは、外界とは違う時間が流れているようで、飲み屋がぐるりと囲んだ広いテーブル席では、昼前だというのに愉快な大人たちが大声で笑いながらお酒を楽しんでいます。それぞれのグループには各々の昼飲みの流儀があるようですが、テーブルの中心にあるのは決まって土佐名物のかつおのタタキです。ニンニクスライスとポン酢をたっぷりかけたお馴染みのタタキと、塩とレモンで食べる最近人気の塩タタキ。外食OKの今回だけの特別ルールを設定していたおかげで、私たち家族も端っこの静かな席で宴会を始めることができました。

注文をすると、厨房の奥でワラの燃え上がる炎でかつおをわざわざ炙ってくれます。出てきたのは2種類のタタキ。定番のポン酢味とシンプルな塩味のタタキです。まずはポン酢から食べてみます。こんがりと焼き目がついた表面と5mmほどの火が通った縁にサクッと歯が通った先で、濃い赤色の中心部がクニッと受け止めてくれます。サク、クニ、サク、クニと心地よい歯ざわりを楽しんでいる間にジワーっと赤身の旨味が溶け出し、ポン酢のフレッシュな香りと酸味が引き締めてくれます。次は塩タタキ。ポン酢の風味が無い分、焦げた皮の脂の香ばしさを直接感じることができます。生臭さなんてまったくありません。土佐の皆さんは、かつおが大好きで、かつおを楽しみ尽くす方法を熟知しているようです。

かつおの塩タタキ
土佐名物 かつおの塩タタキ

かつおの産地、高知県に足を運んだ理由がもう一つありました。それは鰹節です。ひろめ市場にはいくつか乾物屋さんがあって、店の一番目立つところに山のように鰹節が積み上げられています。鳴門うどんを再現するには、美味しい出汁が不可欠です。カビ付けをして旨味と香りを引き出した「本節」を買うことにしました。他にも何かないかと商品を眺めていると、「宗田節」(そうだぶし)なるものを見付けました。お店のお母さんにお聞きすると、土佐清水市の特産品でソウダガツオを原料にした鰹節とのこと。独特の強い香りがあるらしいのです。これは面白いと、節のままのものと削られたもの、それにパウダー状のものも買うことにしました。ここでは小麦粉は見つからなかったものの、出汁はなんとかなりそうです。

鰹本節と宗田節
鰹本節と宗田節

風土に息づく小豆島の醤油蔵

旅の3日目、行き先は妻が決めることになりました。

「小豆島行きたいかな。醤油蔵を見てみたい。」

小豆島(しょうどしま)は、瀬戸内海に浮かぶ大きな島で、淡路島に次ぐ広さがあります。昨年の「100マイル地元食」のチャレンジ中、私だけが小豆島の醤油蔵「ヤマロク醤油」を訪れていました。その時の様子を家で楽しそうに語るものだから、妻も行ってみたくなったようです。香川県の高松港からフェリーに1時間ほど乗り小豆島に向かいます。島々の間を抜け、穏やかな瀬戸内海を滑るように進むフェリー。複雑な海岸線と潮流は多くの魚を育み、地元の皆さんの食生活を支えています。

およそ150年の歴史がある「ヤマロク醤油」は、100年も使える木桶を自ら作り、島の風土に合わせて醤油を仕込む、本物の醤油蔵です。焼杉板の昔ながらの街並みの中にあり、直売所もあって多くのファンが訪れます。

「蔵を見学されますか?」

お店の方が、到着した私たちをすぐに奥へと案内してくれました。ひんやりとした蔵の中には、背丈よりも高い木桶が整然と並んでいます。いつ見ても驚かされるのは蔵に住み着いた菌の見事さです。コウジカビや酵母菌、醤油を作るのに必要なすべての菌が、木桶の表面、蔵の壁や天井にいます。人間の手で仕込まれたシンプルな材料に代わる代わる働きかけて、長い時間をかけて醤油にしていきます。これが醤油作りなんだと、妻にも、そして子供たちにも見てもらうことができました。

ヤマロク醤油の醤油蔵
菌が住み着くヤマロク醤油の醤油蔵

直売所で醤油を味見しながら買えると聞いて、ウキウキしながらお店に戻った時、長男(7)が意外なことを言い始めました。これまで醤油が好きではなく、刺身にも塩をつけて食べていたのに、味見をしてみたいと言うのです。醤油蔵の雰囲気を肌で感じたことで、醤油という食べ物に興味が沸いたのでしょうか。2年かけて作った醤油でもう一度仕込んだ濃厚な再仕込み醤油「鶴醤」(つるびしお)、丹波黒豆を使って仕込んだキリッとした「菊醤」(きくびしお)。長男は、小皿の醤油に指を浸しては口に運び、初めて向き合う醤油の美味しさに目を丸くしています。これも買う、あれも買うと、ほとんどすべての商品を買うことになりました。大切に我が家に持ち帰り味わうことします。

名物料理と「さぬきの夢」

「ヤマロク醤油」を後にし、再び島のフェリーターミナルに戻ると、島の農産物の直売所があることを思い出しました。寒い時期ですが、何か野菜があれば儲けものです。次男(1)が大好きなイチゴ、私が大好きなイイダコの干物もありました。店内を物色するように歩いていると、あの食材と運命的な出会いをしました。地元産の小麦で作られた小麦粉、その名も「さぬきの夢」でした。「ひろめ市場」にも、途中で立ち寄ったいくつかのスーパーでも見つからなかった小麦粉と、海を渡った小豆島で出会えたのです。調べてみると「さぬきの夢」は、香川県農業試験場が開発した小麦で、香川県内だけで生産されている 正真正銘の “地元生まれ地元育ち” の小麦粉でした。

かつて、讃岐や鳴門でうどんが食べられるようになった頃、おそらくは地元の小麦が使われていたはずです。地元の風土の中で育まれた食材を、自分の手でできるだけ美味しくして食べたい。日本各地にある名物料理は、そんな素直でシンプルな欲求から始まったものだと思います。ですが、その後の急速に豊かになった時の流れの中で知名度が上がっていくと、いつしか増え続ける需要に応えるために止むを得ず外から持ってきた食材も使うようになります。そうなれば、名物料理は地元の土地とのつながりを絶たれて、名前だけが残ることになります。

北海道のジンギスカンだってそうです。羊毛を得るために大きくなるまで育てた硬くてクセのある羊の肉を、濃い味付けのタレで食べたのが始まりですが、今ではほとんどがオーストラリア産の柔かいラム肉です。北海道でも、回転寿司で回ってくるサーモンはノルウェーやチリ産です。一年中サケ類が獲れる土地なのに。同じ食材をもっと美味しく食べたいなら、オーストラリアやノルウェー、チリに旅に出た方が良いかもしれません。

たぶん私たちは「地元食の第三世代」なのでしょう。土地の食材を使った名物が生まれた第一世代。急成長する社会の中で、ブランドとコスパばかりを追い求めた第二世代。そして地元の風土とつながった本物と言える食べ物を求め始めた第三世代。食を人生や地域の価値の中心に置いて、食に栄養補給以上の意味を求める世代です。近年目立ち始めた「さぬきの夢」を使ったうどん屋さん、地元の食材が味わえるジンギスカン屋さんにお寿司屋さんと、それを求めてわざわざやって来る物好きな観光客。新しい世代の胎動が、益々便利にファストフード化する社会の裏側で確実に大きくなっているのを感じます。

穏やかな瀬戸内海を照らす陽光
穏やかな瀬戸内海を照らす陽光

高松港に戻るフェリーのデッキで、雲間から差し込む陽光の温かさを感じながら、我が家が夢中になっていた「100マイル地元食」の意味をもう一度考えていました。私たちが本当に食べたいものは何か。子供たちが大人になって再びこの地を訪れた時に、同じように食べてほしいものは何か。かつては当たり前だった、地元の風土と食のつながりを我が家の食卓に取り戻すために、この上なく面倒で、不確実な食の楽しみ方のルールをもう少し追い求めてみたくなりました。