関東に帰省中も100マイル地元食のことは忘れていませんでした。「もし、関東に住んで100マイル地元食に挑戦したらどうなる?」 どれだけ必要な食材が手に入るのか、買い物に出かけました。

今回は、関東での地元食材探しの話。ここでも塩に振り回されることになりました。

100マイルやるなら まずは塩から

新たな土地で100マイル(160.9km)内の食べ物だけで生きていこうとするなら、問題になるのはやはり塩です。肉、魚、野菜、牛乳に玉子、大切にしたい食材は人それぞれですが、共通して絶対に必要なのが塩です。人間は塩無しでは生きられません。

幸いにも、我が家が北海道の札幌で挑戦を始めた時は、40マイル(64km)先の岩内町で、海洋深層水から漁師さんが作った自然塩、“星の塩” がすぐに手に入りました。もし、関東で100マイル生活を始めるとしたら、地元の塩は手に入るのでしょうか?

星の塩
我が家の食生活を支える星の塩

横浜に住む私の両親を連れて、初めに向かったのは神奈川県の鎌倉でした。以前、両親が鎌倉旅行に出かけた時、海水100%の自然塩を見かけたらしいのです。初詣で賑わう鶴岡八幡宮の脇を抜け、切り通しの急坂を越えて、北鎌倉エリアに来ました。

鎌倉の塩

両親の記憶を頼りに訪れたお土産屋さん、“民芸童瑠(ドール)” は、シャッターが半分閉まっていました。本当にここなのか? 人気のない暗い店を覗き込んでも、手作りの民芸品が並んでいるだけ。もう帰ろうかと思った時、父が急にドアを開け、声をかけました。

民芸童瑠
民芸童瑠は準備中

「ごめんくださーい。塩ありませんかー。」

しばしの沈黙の後、お土産屋さんのお母さんが出てきてくれました。まだ開店前ではありましたが、快く塩を買わせてくれました。本当にあったんだね...。聞けば、北鎌倉に住む五十嵐さんという方が、相模湾の海水を汲んできて薪で沸かして作っている自然塩だというのです。

鎌倉の塩
本当にあった鎌倉の塩

地元の海水から作った塩を、地元の皆に楽しんで欲しいという想いから、このお土産屋さんだけですが手頃な値段で売られています。歴史と自然が共存する鎌倉の土地を愛しているからこそ、手間をかけてこの塩を作ったのでしょう。鎌倉に住み、この塩で生きたら、それも幸せな食生活になるはずです。

江戸の発展を支えた行徳塩田

関東でも100マイル塩が手に入ることがわかったので、次は塩にまつわる歴史的な町を歩いてみることにしました。向かったのは、千葉県市川市の行徳(ぎょうとく)でした。かつて東京湾に面していたこの町では、戦国時代から塩田での塩作りが行われていたそうです。

江戸時代には、江戸の町の塩需要を支える貴重な塩田として大きく発展しました。しかし、輸入塩の増加や度重なる高潮被害で、行徳塩田は昭和初期に消えてしまったそうです。今でも、塩の流通で栄えた往時の町の様子を物語るように、古民家や神社が残っています。

笹屋うどん
安政元年(1854年)建てられた笹屋うどん跡

低コストの大量製塩技術や、長距離流通が発達する前の時代、塩は全国の消費地の近くで生産される必需品だったはずです。海に囲まれた日本では、あらゆる土地で個性ある塩が作られ、消費され、日本人の命を支えてきたはずでした。じゃあなぜ、現代に住む我が家が、こんなにも塩に悩まないといけないのでしょうか。

歴史の荒波を越えて

日本では、高度成長期の1971年、増え続ける塩需要をまかなうため、伝統的な製塩を禁止して、一部の地域の工場だけで大量生産技術を使った製塩に舵が切られました。その後、1997年に再び伝統的な製塩が自由化されるまでの間に、多くの地元の塩の製造が途絶えてしまったそうです。

現在手に入る100%国産原料の自然塩は、全て1997年以降に再開か、もしくは新たに始められたものです。今の自然塩ブームを牽引するお店、塩屋(まーすやー)に行ってみました。

塩屋
話題の塩の専門店 塩屋(まーすやー)

このお店で見つけられた関東の塩は、唯一、伊豆大島の黒潮から作った自然塩、“海の精” だけでした。思ったより少ないけど、生きていくことはできそうです。ちなみに北海道の塩は1つも置いていませんでした。目に付くのはやっぱり沖縄の塩。沖縄は塩ビジネスが本当に盛んです。

七里ヶ浜と伊豆大島
鎌倉の七里ヶ浜と沖に見える伊豆大島

関東だけじゃなくて、日本各地に地元の自然塩があれば、全国で100マイル地元食に挑戦できる可能性が開けます。そこまで飛躍しなくても、地元の食材を地元の塩で料理した時の美味しさは、現代都会人の食生活をもう少しだけ楽しくしてくれるはずです。