©100マイル地元食
EPISODE #12
寿都の海で出会った男
北海道-道央エリア
6月
食の仕事人さんとの出会い
私は、前の仕事で野菜と果物を売っていました。なので、地元の野菜のことは、なんとなく分かっています。ですが、他の食べ物はからっきしです。このままじゃ、地元の美味しい食べ物を食べ逃してしまう。そんな危機感から、わからないことは詳しい人に聞くことにしました。まずは魚からです。
たまたま、高校の頃からの仲間が、開いた熱帯魚屋さんの経営もそこそこに、魚をもっと食べてもらおうと日夜活動していると聞きました。青木君です。彼を北海道に招き、100マイル地元食ルールで買うことができる魚介類を求めて、ドタバタの水産ウィークが始まりました。
いくつもの海を回るうち、今後のキーマンになりそうな方との素晴らしい出会いや、見たこともないような食材の発見がありました。
我が家の3人の子供のうち、上の2人はおにぎりが大好きです。時鮭おにぎりで何とか満足してもらったものの、海苔がない。子供の純粋な「海苔を巻きたい」というリクエストに応えるため、向かったのは寿都(すっつ)でした。
寿都は、札幌から西に100㎞離れた日本海側の港町です。ここでは、磯から採った岩海苔を、すだれの上に置いた木枠の中に敷き詰め、乾かして板海苔にしたどんじゃ海苔が作られています。大変貴重な伝統食材です。
北海道では、太平洋岸東部の厚岸や、オホーツクのサロマ湖で海苔養殖が行われていますが、どちらも100マイル範囲外で、我が家では買えません。唯一買えるのが、寿都のどんじゃ海苔でした。
朝一の飛行機で北海道入りした青木君を車に押し込み、そのまま寿都を目指します。2時間の長い道のりの道中、車内では、思い出話だけでなく、まじめな食生活の話もします。高校の時の青木君が、10年以上経って同じような目標に向かっている。気恥ずかしくもあり、嬉しくもあります。
2人を乗せた車は、太平洋側から回り込み、北海道のくびれを横切ります。峠を越えて眼下に突然現れたのは、真っ青に広がる日本海。そこから寿都湾に沿って進むとすぐに寿都漁港に着きました。
ここでは、寿都町漁協直売所に入りました。広く新しい建物の中で、まず目に飛び込んでくるのは、氷の上に並んだ鮮魚たちです。今が旬のカレイにホッケ、サクラマスに、小女子(コウナゴ)やブリにタコの頭もあります。他にも、札幌のスーパーでは見られない珍しい魚がいます。
気になる魚がいました。ボラと書かれた札が乗っています。しかし、青木君は違った反応です。「お腹が大きいから子持ちだけど、ボラの産卵期は冬。これはボラじゃない。メナダだ。」素人の私を置いてけぼりにして、一人盛り上がっています。
どうやら、ボラの仲間で、北海道では夏が産卵期のメナダだったよう。青木君は、ボラが旨いんだから、メナダも絶対に旨いはずと断言します。かつて、東京湾近くに住んでいた私にとって信じられない話。かつてのボラは臭くて触りたくもない魚でした。え、これ、本当に買うの?他にも、ウマヅラハギ、モンケ(メバルの仲間のハツメ)、ツブ貝も買いました。
そして忘れてはいけない、どんじゃ海苔もありました。だけど高い!なんだこの値段は!巨大な袋に折りたたまれて入っているものの、1袋5千円?しばし、手が止まります。でも子供たちの顔を思い出すと諦めるわけにはいきません。買うしかない。
直売所の鮮魚売り場で、サクラマスを並べていた背の高い男性がいました。忙しそうに動き回っています。その時、名札を見て青木君が言います。「もしかして大串さんですか?」
男性が戸惑っています。「ええ、そうですけど?」
青木君が自己紹介します。「青木と鈴木です。こちらにいたんですか!」
青木君は、北海道に来るにあたって、水産業界の仲間から、北海道で活動する水産のキーマンを紹介してもらっていたようです。それが大串さんでした。本来であれば、この翌日夜に札幌でお会いする予定だった大串さんと、偶然にも寿都漁港でお会いできたのです。
大串さんは、北大大学院で博士号を取られてから、寿都町役場で水産業振興のお仕事をされています。青木君は、北海道の地理と地名を理解していませんでした。大串さんがいる寿都町に来ていたなんて知らなかった!そんなことってあります?
大串さんは、お忙しいにも関わらず、我々2人を漁港のセリ場に連れて行き、町の漁業の現状、いま取り組まれている船上活〆の活動のこと、いろいろと教えてくれました。漁港で海を見ながら魚のことを学ぶ。最高に贅沢な時間です。
翌日夜の再会を誓い、寿都漁港を後にします。まだまだ水産ウィークの食材調達は始まったばかり。ですが、しばし朱太川の河口に腰かけお弁当ランチです。メニューはもちろん、ドンじゃ海苔巻き時鮭おにぎり。海の匂いが、海苔からも浜風からも押し寄せる、これもまた特別な時間になりました。