食べられる物が少ない?だからどうした。私たち家族は生きていくために100マイル内の食べ物を楽しんで食べ続けました。静と動、外と内、日常と非日常を行き来したことで気が付いた感覚がありました。

今回は、12月の挑戦のダイジェストです。

風にも負けず 雪にも負けず

例年よりも早く訪れた冬。買える野菜が減ってきたことで、冷蔵庫はすっかり空っぽになりました。どの食材を使うのか迷うほどだった秋に比べ、むしろ、諦めがついて、すっきりとした気分になったと開き直っていました。でも、冬の本番はその後にやってきました。

雪が多かった11月から12月前半は、食材を買いに、車で産地まで行くのも一苦労でした。風雪の中、やっとの思い出たどり着いた寿都漁港の直売所、すっつ浜直市場では、地元で愛される魚 “ごっこ” に出会いました。トロっとしたごっこ汁に温められました。

ごっこ汁
ごっこ汁 真ん中の緑色が岩海苔

それでも、果敢な雪中行軍は続かず、いつしか、家とスーパーの往復で、単調なメニューの繰り返しになっていました。少しずつふさぎ込む気持ち。そんな私たちに追い打ちをかけたのは、自家製味噌の失敗でした。2か月ほど寝かせた味噌が、若く甘いままで、しかも納豆臭いのです。これまで採用してきたお手軽な作り方が、実は間違いだったことを知りました。

我が家らしい楽しみ方

冷たく閉ざされた冬の時間の中でも、ささやかながら我が家らしく、手に入る食材だけを大切に食べることを続けてきました。旭川の “ぬまんち” さんが作ってくれた “ななつぼし” の玄米。コイン精米所に持って行って、初めての自家精米です

意外なほどに簡単に精米できたお米。せっかくなので、玄米と白米の食べ比べもしました。玄米の、健康に良さそうだけどクセがあるのでは?というイメージは完全に誤りでした。農家さんから玄米を直接買ったことで味わえた、思いがけない美味しさでした。

白米と玄米の食べ比べ
白米と玄米の食べ比べ

妻の努力も続きます。長女(3)が好きなフランスパンを、丁度良い食感に焼けるまで、何度も挑戦しました。材料のバランス、発酵時間、こねる回数、工夫を重ねながら少しずつ理想のフランスパンに近づいたでしょうか。いやまだまだ。

フランスパンスライス
ぎゅっと詰まったフランスパン
足りないものは気にしない

子供たちのために、限られた材料で作ったクリスマスディナーもまた、心温まる体験になりました。妻が3日かけて下味を付け、スペアリブでとったスープでゆっくりじっくり火を通したハムは、じゅわっと肉汁を蓄えた、控えめですが、立派なご馳走でした。

自家製ハム
中までほどよく火が通った自家製ハム

チーズが無いラザニアに、皮の無いソーセージは、子供たちへの愛情と、残り半分の遊び心で作った、チャレンジメニューでした。留萌のパスタ専用小麦粉のルルロッソで作ったラザニアは歯応えも香りも十分です。ソーセージには、子供たちも興奮してかぶりつきます。家族だけで過ごすクリスマスの夜は特別な時間です。

チーズを使わないラザニア
チーズの代わりにパン粉をのせたラザニア

後日、出汁を取ったあとのスペアリブと香味野菜で、バーベキュースペアリブを作りました。豚の肉と骨の旨味が染み込んで甘みが引き出された香味野菜をすり潰したら、足りない塩味と酸味を、最低限の調味料で補ってあげて、我が家流のバーベキューソースの出来上がりです。ソースが染み込んだ骨付き肉をこんがり焼けば、人間の野生の本能を刺激する味です。

バーベキュースペアリブ
バーベキュースペアリブ
心の奥に広がる大地

年末年始の帰省では、100マイル地元食を一時離れ、自由に何でも食べてみました思い出の外食店をハシゴする私やっぱり実家のご飯に一番ほっとしている妻、食べ物への興味を爆発させる長男(6)と長女(3)

いつも食べられない外食に興味津々

かつてほどの罪悪感を感じず、安心して自由に食べられたのは、いつの間にか100マイル地元食が、私たち家族の食生活の「軸」になっていたからです。100マイル地元食が私達の日常。必ず帰るとわかっているから、帰省中の非日常が楽しめたのです。

心の奥に「食べること」に関する部分があると感じます。チャレンジ開始当時は、カラカラに乾いていました。でも、地元の食べ物が、地元の友人たちの手を介して届き、それを家族で食べる度に、少しずつ何かで満たされていきました。一滴一滴と、雨の雫が乾いた土地に染み込んでいくように。

いつしか心の中の土地に芽が生え、今では小さな若木に育っている。それが確かに私の中にある「軸」。若木が根を張る土地は、私たちを取り巻く100マイルの大地につながっている。大地と食べ物と私自身が、全て私の中で不可分につながっている。

一度離れることによって、気づくことができた不思議な感覚。それは、日々の食に向き合うことで、少しずつ私の中で育っていた100マイルの大地とのつながりでした。